追記:うつの人を看る方へ

2009年8月13日

 私はうつ病になってみて、知識として知っていたうつ病と実際のうつ病がこんなに違うものかと本当に驚いています。ですので、今身近にうつ病の方がおられて、どう接して良いのか判らないと、戸惑われている方のために、私のうつ病体験をご説明いたします。

 私はうつがひどい時、本当に仕事が手に付かなくなると書きましたが、それはどういう事かと言いますと、たとえば1+1=2という計算が出来なくなります。いきなりで私が何を言っているのかが判からないと思いますので、もう少し説明します。

 たとえば、上司が3という結果をほしがっていることが判っていて、実際にどうであるか確認を頼まれたとします。そして集めた資料から、どうもこれは3ではなく2になりそうなだと思ったとします。私は答えを確かめるのが怖くて電卓のボタンを押すことが出来なく成ります。誰が計算しても結果は同じなのですが、上司が嫌がる結果を報告しなくてはならなくなりそうだと思った瞬間に、恐怖心で心身は硬直し、頭の中は真っ白に成り、計算が出来なく成るのです。

 「この怖くて出来なくなる」という感覚を説明するのに、テレビ番組の中でお笑いタレントのkさんが経験されていたある事例で例えさせて頂こうと思います。

 ある生放送の番組のコーナーに、kさんがバンジージャンプを飛ぶという企画がありました。(ロープを体に縛りつけ、高いところから飛び降りてスリルを楽しむという遊びです。)実はkさんは高所恐怖症でした。おそらく企画としては、kさんが怖がりながら飛び降りる様子は、笑いを誘うだろうという事だったのだと思います。そしておそらくkさんも「お笑いのプロとして、バンジージャンプぐらい飛んで見せよう。」と思って引き受けた仕事なのでしょう。しかし、kさんは生放送であるにも関わらず飛べませんでした。番組を台無しにしてしまいました。そこで、kさんは来週こそは必ず飛ぶと約束し、その週の放送は終わりました。あけて翌週、kさんはもう一度バンジージャンプに挑みました。こんどは額に鉢巻をまいて、威勢の良いいでたちです。しかしまたもや飛べません。おそらくkさんの中には「今週飛べなくて、再度番組を台無しにしたら、タレントとしておしまいかもしれない。」という思いがあったと思います。しかしながらkさんはまたもや飛べなかったのでした。(蛇足ですがkさんはもともと才能がある方なので、今もタレントとして活躍されています。)

 これは高所恐怖症の人にしかわからない感覚ではないでしょうか?物理的にいえば、飛び降り台から足を前に出せば飛べるのです。簡単なことなのです。でも高所恐怖症のkさんには飛べないのです。

普通の人にとって1+1=2と計算することは簡単なことでしょう。でもうつがひどくプレッシャーに敏感になっている私には、どうしても出来ないのです。理解していただけないかもしれません。そんな私を見て「出来ない」のではなくて「していない」のではないか?と言いたくなることも容易に想像できます。でもそのときの私にはやはり「出来ない」のです。

 私が悩んで仕事が進まないときに、「命が取られる訳じゃないのだから、気楽にやれよ。」と励ましを頂くことがありました。私はその方の好意は理解しているので、「心配していただいてありがとうございます。」と何とか答えたと思います。でも先ほど例にしたkさんはどうでしょう。バンジージャンプは安全な遊びですので、命を落とすことはまず無いといって良いでしょう。逆にバンジージャンプを飛ばないと「タレント生命」は終わってしまうかもしれません。その番組を台無しにした責任を問われて、もう使ってもらえなくなることは十分ありえるのです。でもkさんは飛べないのです。

 うつがひどい時の私が「命が取られる訳じゃないのだから、気楽にやれよ。」といわれて仕事が出来るようになるなら、タレント生命が無くなるかもしれないkさんが安全なバンジージャンプをとべない理由など無いのです。

 又、別の機会に「くよくよしたってしかたないぞ、元気だせよ。」と言ってくださった方もおられました。その方だって好意をもって言ってくださっています。でも仮に私が風邪で高熱を出していたとしたら、「熱なんか出してないで、元気にやれよ。」とは言われないでしょう。ひとは風邪の苦しさと気持ちで熱をコントロールできないことを知っているからです。でもうつ病は自分の感情がコントロールできなくなる病気であるということは、まだ広く理解されていないので、こういう励ましをされることがあります。大変申し訳ないのですが、好意は理解していても、こういう励ましは辛いものなのです。(ちなみにうつ病は英語で“感情障害”とよばれています。)

 何かの本で主婦のうつ病のことが載っていました。うつがひどいと夕飯の献立が決められない、買い物ができないといった状態になるそうです。なぜこんなことが出来ないのだろう。人はどう思うのだろう、こんな自分は主婦失格ではないか?と自分を責める気持ちになるのでしょう。1+1=2が出来なくなる私には、わかる気がします。

 うつの人を看る方へのお願いはただひとつ「理解」です。あるいは理解しようとしてくれる態度です。気持ちをそのままわかっていただけなくていいので、どうか、知識だけはもっていてほしいのです。

 今、私はこういうことが書けるようになったのは自分が回復している証拠だと思っています。うつがひどい時はしてほしいこと、してほしくないことが言えませんでした。病んでしまった方が、何かを要望するようになったなら、回復の兆しかもしれません。

カテゴリー:うつ病の私、歎異抄の救い | 順慶寺@4:29 AM