うつの最中で読んだ「歎異抄」

2009年8月13日

 冒頭で述べましたが、私はうつ病を患っています。しかし今はなんとか最悪の状態は乗り切りましたので、薬を飲み、無理さえしなければ、社会生活に支障のない状態には回復できております。私はうつがひどく、気持ちがどん底にあるとき、「歎異抄」を何度も読み直し、心の支えにしてきました。私は自分の体験をお話することが、同じ「うつ」に悩む方々のなんらかのヒントになってくれたらと思い、うつ病を病む私にとっての「歎異抄」について述べさせて頂こうと思います。

 まず最初に申し上げたいことは、私は浄土真宗の檀家の家に生まれましたので、「南無阿弥陀仏」と称える縁をいただきましたが、これは私にとって自分の力ではどうする事も出来ないことを任せる「おおいなるもの」の象徴として称えさせているということです。これは私個人の考えですが、もし皆さんの中で、「南無阿弥陀仏」と称えることに抵抗がおありなら、皆さんが信じられる対象にお任せすればいいと思います。ご実家の宗派のご本尊を信仰されることはすばらしいことでしょうし、仏教にとらわれず、キリスト教でも神道でもよろしいでしょう。又、個別の宗教にとらわれない概念としての「神様」でもいいと思います。

 私が歎異抄について書こうとした事から、私が「もともと信心深い人間」であると思われた方がおられるかもしれませんが、実はそうではありません。実際私は学生時代に機械工学を学び、今技術職に就いています。技術は原因と結果を明確にすることで進歩するものですから、そのようなことを好む私の性格から、私にとって宗教は決して近い存在ではありませんでした。それゆえに私は「歎異抄」を読むまでは、よく自己啓発とか心理学の本を読んでいました。そしてそういった本の中で、時折以下のような心理分析がありました。

カテゴリー:うつ病の私、歎異抄の救い | 順慶寺@4:25 AM