~うつに悩んだ末に住職にメールを下さった著者が、皆様のために小冊子を作りました~
はじめに・歎異抄の成り立ち・法然について
2009年8月13日
私は今うつ病を患っています。今は最悪の時期を何とか乗り越えたつもりでいますが、「うつ」が苦しい時、私は何度も「歎異抄」を読み返し、かろうじて自分を保ってきました。うつがひどく、自分で自分の感情をコントロールできない時、「歎異抄」で説かれる「救い」は最後に自分を支えてくれました。それは決してそれを読んだら、たちどころに苦しみから逃れられるといったものではありませんが、「苦しむ自分のままでいい。」と救いを感じられました。私は「歎異抄」は特に「絶望した人の心」に響く書物のようにおもうのです。それは、歎異抄を語られた親鸞が「絶望した人」であるからなのでしょう。そして「歎異抄」は私にとって「絶望した私」を支えてくれた「実用書」です。私は何か身の上に絶望を感じている方や、又、私と同じように、「うつ病」を病んでいるか方に、ぜひ、「歎異抄」を読んでみてほしいと思っております。その思いから、私は自分の場合にどのように救いを感じとることができたかを文章に残したい思いました。
蛇足とは存知ますが、「歎異抄」は浄土真宗の教えが語られている「宗教書」です。でも、もし、「宗教」もしくは「浄土真宗」に抵抗を感じらるのなら、たとえば、歴史上の人物としての「親鸞」の生き様をしっておく為に読んでみてほしいです。約七百五十年前に絶望した自分を抱えて生き抜いた人がいたと思うだけで、「救い」やあるいは「生き方のヒント」になるかもしれません。
歎異抄の成り立ち
この章では歎異抄の書かれた背景について、簡単に説明いたします。私は「歎異抄」を「実用書」と考えていますので、「歎異抄」について研究したつもりは有りません。ただ、時代背景や、書かれた経緯については知っておいた方が「歎異抄」の理解の助けになると思いますので、私の知る範囲で簡単に説明させていただきます。
法然(親鸞の師)について
法然は親鸞の師であり「浄土宗」の開祖です。法然は比叡山延暦寺(天台宗)で、仏教を学び、修行をしました。時代は平安(公家の支配)から鎌倉(武士の支配)に変わるころです。そのころの世の中は戦乱、天災、飢饉といった災難が続いていました。当時の仏教界はそんな民衆を救うよりも、時の権力者に取り入り、布施を得ることばかり考える者等がおり、堕落していました。しかし、その時代を生きた民衆にとってこの世はまさに生き地獄であり、その日を生きる為の食料とするための生き物の殺生や、あるいは盗み、又は戦での人殺し、を行わずには生き延びることができませんでした。当時一般的に受け入れられていた仏教では浄土にゆけるものは仏教を学び、戒律を守り、修行を行って煩悩を捨てることで、「悟り」を得られた人だけとされていましたので、まさに、「この世もあの世も地獄」であり、苦しみの中をもがき苦しんでいました。法然はそれら苦しむ人々を救えない当時の仏教に疑問を感じ、何か方法はないかと多くの仏典の中に答えを探し続けました。その結果出合ったのが「阿弥陀仏の本願」念仏でした。
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阿弥陀仏の本願」念仏の概略・親鸞・唯円
2009年8月13日
「阿弥陀仏の本願」念仏の概略
― 遙か遠い昔に、一人の王が出家した、名前は法蔵(ほうぞう)といった。彼が出家した理由は世の中のすべての民衆を苦しみから救いたいという思いからだった。彼は修行にあたり「四十八の誓願」を立てた。その十八番目に次のことを誓った。
「私が修行の結果仏になれたならば、浄土に生まれたいと願って私の名前を称えたものあれば、すべての人を浄土に救いとります。」
法蔵は長い修行の末、ついに仏となり。名を改めて、阿弥陀仏となった。
つまり阿弥陀仏の名前を称えれば(=南無阿弥陀仏と称えれば)、すべての人は「浄土」に救いとられる。
法然はこれをもってすれば、民衆は死後の恐怖から救えると考え、この教えを民衆に広めました。これが「念仏を称えれば浄土に救いとられる。」教えとなって「浄土宗」が成立しました。
親鸞(法然に救われた人)
親鸞も比叡山延暦寺で仏教を九歳から約二十年間学び、修行をしました。しかし、いくら厳しい修行に勤めてもまったく、「悟り」、「心の平安」を得ることができませんでした。特に「性への欲望」に苦しめられたようです。
他の修行者の中には深く自分を見つめることもせずに、「自分は悟りを得られた。」と簡単に考えることが出来た者や、表向きは「仏教者」を装いながら、裏では戒律を破り、食肉をし、持妻した者もいたようですが、真面目で、神経質で、完全主義の親鸞にはそんなことはできませんでした。
いくら修行をしても「心が落ち着かない、煩悩を捨てきれない自分」に絶望した親鸞は比叡山を降り、都で「念仏」を教える法然の下に向かい、教えを請います。
法然の前で、親鸞は自分がいくら努力しても心の平安が得られないことをありのままに告白し、どうしたら自分は救われるのかを訊ねました。
法然は「阿弥陀仏の本願」念仏の教えを説きます。かなり乱暴な解釈ですが、私は二人の間でおおよそ以下のような会話があったと想像しています。
親鸞:「私はできる限りの修行をし、学問しましたが、悟りを得られません。私のようなものが救われる方法があるなら教えてください。」
法然:「念仏を称えなさい。そうすれば阿弥陀様が浄土に救い取ってくださる。」
親鸞:「私のような煩悩の多い人間でも救われるのですか?」
法然:「必ず救われる。阿弥陀仏の本願を信じ、念仏することです。」
親鸞:「わかりました。念仏をさせていただきます。しかし、私は特に性への欲望を捨てきれず、それがとても苦しいのですが、これはどうすればよろしいのでしょうか?」
法然:「持妻したほうが念仏し易いのなら持妻しなさい。持妻しないほうが念仏し易いのなら、持妻することはやめなさい。大切なことは阿弥陀仏の本願を信じて念仏を称えることただひとつです。」
親鸞は法然の下で、「念仏の教え」を学び、「あるがままの自分」で救われる喜びに浸ることができることになりました。又、同時に「持妻」することも許されるのでした。
しかし、この念仏の教えは既存の仏教の否定であるとともに、「念仏すれば救われる。」ことはつまりが、「仏の前ではすべての人が平等である。」ことになってしまうので、既存の権力者つまり仏教界、幕府から、弾圧を受け、法然は土佐へ、親鸞は越後に流罪になってしまいます。
唯円(親鸞の弟子、歎異抄の著者)
一般に「親鸞の歎異抄」と言われていますが、歎異抄を書いたのは親鸞の弟子である唯円です。唯円は親鸞の死後に念仏について間違った解釈をする者がいることを嘆き、師親鸞から教えていただいた、正しい念仏の教えを残す為に歎異抄を書きました。この書物のタイトル「歎異抄」は教えとの異りを歎いた文章の意味です。
以上がかなり大雑把ではありますが、歎異抄の成り立ちです。歎異抄は全部で十八章ありますが、十章までが、生前親鸞が語られた言葉を唯円が書き記したものです。ですので、私は十章までを私の理解の範囲でご説明させていただこうと思います。拙い私の意訳、解釈ですが、読んでみて頂けると幸いに存じます。
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第一章 私の意訳 私の解釈
2009年8月13日
第一章
弥陀の誓願不思議にたすけまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏まうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とするべし。そのゆえは、罪悪深重、煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば、本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆへに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに、と云々。
私の意訳
阿弥陀様の誓願の不思議に助けられて、往生できると信じることができ、念仏「南無阿弥陀仏」と称えるようと思えたとき、あなたはもう救いとられています。阿弥陀様の本願には年老いた人、幼い人、善人、悪人の区別はありません。ただ、深く本願を信じる心のみが必要です。なぜかといえば、阿弥陀様の誓願は罪の深い私たち凡人たちを助けようとしたものだからです。だから、本願のみ信じれば、他の善行は必要ありません。なぜなら、念仏にまさる善行はないからです。又自分の犯してしまった悪についてもおそれる必要はありません。過去、現在、未来において、阿弥陀様の本願を妨げるほどの悪行などありません。
私の解釈
親鸞は念仏するだけで、往生できると言い切っています。なぜこんなことがいえたのでしょう?私はこう解釈しています。
親鸞は自ら「愚禿親鸞」(おろかな散切り頭の親鸞)と名乗るほど、自分の人間としての不完全さを自虐的までに見つめた人でした。しかし、既成の仏教では自分の中の「仏性」を目覚めさせることが重要であり、その為に、学問をし、修行をし、善行を行い、煩悩を捨てて悟りを開くことが、本道であるとされていました。
親鸞も比叡山で修行してそれに立ち向かいました。しかし、神経質で、完全主義者の親鸞には自分の中にあるわずかな煩悩さえも許すことができませんでした。だから、たとえ確かに行った「修行」「善行」でさえ、そんなものを根拠に自分の中に「仏」という「完全な存在」があると思うことができなかったのだろうと思います。だから、親鸞には煩悩の深い自分のままで救われる方法が必要でした。それが、法然に教えられた「念仏」だったのです。
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第二章 私の意訳 私の解釈
2009年8月13日
第二章
をのをの十余ケ国のさかひをこえて、身命をかえりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちをとひきかんがためなり。しかるに、念仏よりほかに往生のみちをも存知し、または法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておはしましてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たち、おほく座せられてさふらふなれば、かのひとびとにもあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞にをきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にむまるるたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん、総じてもて存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。そのゆへは、自余の行をはげみて仏になるべかりける身が、念仏まうして地獄にもおちてさふらはばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔もさふらはめ、いづれの行もをよびがたきみなれば、とても地獄は一定すみかぞし。弥陀の本願まことにおわしきまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおはしまさば、善導の御釈、虚言したまふべからず。善導の御釈まことならば、法然のおほせそらごとならんや。法然のおほせまことならば、親鸞がまうすむね、またもてむなしかるべからずさふらうか。詮ずるところ愚身の信心にをきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなりと、云々。
私の意訳
みなさんが十以上の国をこえて、命がけで、来られた目的は、浄土にゆく方法ただひとつを知りたいためですね。しかし、私が念仏以外に浄土へゆく方法をしっていたり、法文等をしっているのではないかと、疑っているのであれば、大きな誤りです。もしそのようなものが知りたいのであれば、京都や、奈良に立派な学者が大勢おられるので、その方々に教えてもらってください。親鸞においてはただ念仏して、阿弥陀様に助けていただくだけであると、法然様に教えていただいたことを信じているだけで、他の理由はありません。念仏が本当に浄土にゆく方法であるのか、または地獄に落ちることになってしまう行いであるのか、まったく興味がありません。たとえ、法然様に騙されて念仏したために地獄に落ちたとしても後悔はありません。その理由は私が修行をして、悟りを開いて仏になれるような人間であるならば、修行をやめ、念仏したために、地獄におちたことで、騙された。と後悔するかもしれません。しかし、私はいくら修行をしても煩悩を捨てきれない人間であるので、念仏をしようとしまいと、私は地獄に落ちるべき人間なのです。阿弥陀様の本願が本当であるなら、釈尊の説教は本当でしょう。釈尊の説教が本当であるなら、善導の解釈もうそではないでしょう。善導の解釈が本当ならば、法然の教えもうそではないでしょう。法然の教えが本当ならば、親鸞がいうことも、うそではありません。結局愚かな私の信心はこれだけのことです。ですから、このことをお知りになった上あなた方が念仏を信じられようと、捨てられようと、あなた方にお任せします。
私の解釈
私はこの章が一番好きです。「たとえ地獄に落ちてもいい。」といえるほど人を信じられたら、なんとすばらしいことでしょう。親鸞が法然から初めて念仏を教えられるのは二十九歳のときです。それから、流罪になる三十五歳まで、親鸞は法然の下で学びます。煩悩の多い自分を救っていただける法について学ぶ六年間は親鸞にとってもっとも幸せな期間であったことでしょう。しかし、親鸞は流罪を契機に法然と別れなければならなくなります。そしてその間に法然は死去することになりますので、親鸞が法然の下にいられたのは結局この六年間だけでした。親鸞は法然と別れた後、師の教えについて繰り返し思索し続けたとおもわれます。しかし、今まで身近に支えになっていただいた師がおられなくなったことは「念仏」に対し少なからず、不安や疑問をもたらしたと思われます。だから、親鸞は師のたどった足取りを自らの足で歩き直すように、念仏について検証しなおしていったようです。念仏の教えにつながる経典類を読み直し、分かった気になるのですが、すぐに新しい疑問が沸き、また経典に答えを探すことを繰り返したことでしょう。しかし、結局のところ、親鸞にとって念仏への信心の根拠は法然に直接教えられ、救われた「喜びの体験」以外になかったのではないでしょうか?だから、関東から京都まで、命がけの旅をして訪ねてきた弟子たちに、「法然様が言われたことを信じているだけである。」と言い切ることができたのでしょう。
それにしても法然と親鸞の信頼関係はなんとすばらしいものでしょうか。私は「歎異抄」を読むたびにその関係に憧れ、「嫉妬」に近い感覚を覚えます。
カテゴリー:うつ病の私、歎異抄の救い | 順慶寺@4:10 AM
第三章 私の意訳 私の解釈
2009年8月13日
第三章
善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をやと。この条、一旦そのいはれあるにたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆへは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、生死をはなるることあるべかざるをあはれみたまひて、願ををこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もともと往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おほせさふらひき。
私の意訳
善人だって往生できるだから、悪人は当然往生できます。しかし、世間の人々は悪人が往生できるなら、善人は往生できるといいます。これは一見正しいように思えますが、本願他力の教えとは異なります。その理由は自分で善行のできる人は阿弥陀様にすがる気持ちが弱いので、阿弥陀様に救われにくいのです。しかし、自力のこころをやめて、阿弥陀様にすがる気持ちになれば、往生できるのです。欲の深い哀れな私たちがどんな修行でも生死の苦しみから逃れられないことを哀れにおもって阿弥陀様が願を立ててくださったのです。だから、阿弥陀様にすがる悪人こそもっとも往生しやすい人なのです。だから、善人だって往生できるのだから、まして悪人は往生できるのです。
私の解釈
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや。」は親鸞もしくは歎異抄のなかで一番有名なことばです。「悪人正機説」ともよばれます。ここで使われる悪人および善人は一般につかわれる定義とことなります。故にいつも誤解をうけるようです。
一般的な定義
悪人:犯罪者、利己主義者、等
善人:善行を行える人、博愛主義者、等
歎異抄での定義
悪人:完全な善行などできないと自覚のある人
善人:完全な善行ができると思い込んでいる無知な人、又はおごりのある人
繰り返しになりますが、親鸞は自分が悪人でることに悩み、修行にやぶれて、比叡山をおりた人です。そして、悪人のままでも念仏すれば往生できると教えられ、法然に救われたひとです。ですから、一見奇をてらったようなこの文章も念仏の教えを正しく理解すれば、決して不可解なものではないのです。
ここで、「本願他力」という言葉もでてきましたので、一緒に説明します。一般的には「他力本願」とよばれますが、他力とは阿弥陀様の力のことです。あまりにも誤ってつかわれすぎて、辞書にも載ってしまっている意味「他力本願」=「他人任せ」ではないのです。
もうすこし、「他力本願」について、述べさせていただきますと、一般に法然が浄土宗にて「他力本願」=「念仏を称えれば、どんな者でも救われる」という「教え」を広め、弟子の「親鸞」が念仏するこころがおきることも「御仏のお計らい」によるものだとし、「絶対他力」という「教え」に深めたとされています。
ここからは私の解釈なので、史実と違うかもしれませんが、私にはこうとしか思えないので、私の私見を述べさせていただきます。
私は法然の中にも念仏するこころがおきることも御仏のお計らいによるものだとする、「絶対他力」の思想があったのではないかとおもっています。なぜなら、「ナムアミダブツ」と称えれば極楽にいけるという解りやすい教えは多くの人を救うことができますが、たとえば「口のきけない人」はどうでしょうか?念仏が称えられないから、極楽にはいけないのでしょうか?又、まだ言葉をおぼえる知恵のない子供、痴呆の老人、知的障害者はどうでしょう?彼らを救う方法は無いのでしょうか?「智慧第一」いわれた法然がそんなことに気づかないわけがありません。でも、念仏を称えるこころがおきることさえ「御仏のお計らい」などといっても民衆には理解しにくくなるだけです。だから、法然は大衆の多くを救えるように「ナムアミダブツと称えれば往生できる」に「教え」をとどめてしまったのだと思うのです。しかし、親鸞は違います。法然にとって念仏とは民を救う法でしたが、親鸞にとっては自分を救っていただくために命がけで求めた法なのです。彼は自分こそ悪人中の悪人の自覚がありましたから、どんな人間でも救い取る「法」がなければ、「自分が救われる」ことにはならないのです。だから、親鸞は「絶対他力」まで教えを深める必要があったのだと思います。直接的に法然からそれを伝えられたかどうかは、しるよしもありませんが、「善信(親鸞)が信心も聖人(法然)の御信人もひとつなり」と親鸞が言い切ったことからも、私はそう思っています。
カテゴリー:うつ病の私、歎異抄の救い | 順慶寺@4:13 AM











